おっさんニートの幸福論

30歳で起業したものの、働くことに飽きてしまったおっさんのブログです。ニートですが幸せに生きてます。

自己紹介 ~これから編~

 みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

長らく続けさせていただきました自己紹介も今回で最後になります。

ここまでご覧になって頂きました皆様に感謝感謝です。

 

まだお読みでない方は、ぜひこちらもご覧ください。

 

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突発的に仕事が嫌になりニートになってしまった私ですが、1年ほどニート生活を続けた後、ふとこう考えます。

 

ニート生活って、ずっとやってると飽きるな…』

 

ゲームやギャンブル、サウナや筋トレを日課ニート生活していたのですが、やっぱ飽きるんですよね。人とのつながりも無くなっちゃうし。

1日ダラダラ過ごしてると罪悪感もすごいあるし、楽になるためになったニート生活がしんどくなってきてしまったのです。

そこで『人はなぜ生きるのか?』みたいなことを考え出すわけです。

 

人間が生きる意味。これはもう簡単です。

出来るだけ幸せに、楽しくいきること。

これがこの世に生を受けた意味だと確信しています。

 

そうなると今度は『幸せとはなんぞや』という疑問が出てきます。

私は『自分の好きなことを好きな時にやること』が幸せだと思ってました。

そしてニートになりましたが、その幸せは1年ぐらいしかもたなかったんですよね。

 

本当の幸せとはなんなのか?

わからなければ、何をしたら幸せになるかいろいろ試してみたらいいじゃない!

となったんですね。

 

いろいろ試す中で

『これってみんなも幸せになりかったりするんじゃないかしら?それを知れたら嬉しいのでは?』

と考え出します。

 

どうせ人生を生きるのであれば、幸せに生きたいって感じてる人は多いと思います。

幸せの形は人それぞれです。私が幸福感を感じたことが万人に当てはまるかは定かでありませんが、誰かの役に立ったらいいなと思い、ブログを始めてみた訳です。

 

まだまだ試行錯誤の毎日ですが、ニートの幸せ探しにお付き合いいただけましたら幸いです。

 

長々とお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

自己紹介 ~ニート編~

みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

今日は東京オリンピックの開会式ですね。

とんでもなくバタバタしていましたが、無事に開会することができるのでしょうか?

小山田さんにしろ小林さんにしろ、ここまでマイナス条件が出てくるって逆にすごいと思うのですが、その要因の一つに国民感情があるのではと感じます。

国民が賛成していればここまで炎上することもないでしょうし、明るみになったとしても火消に回る人が一定数いると思うんですよね。それがないってことは、潜在的にオリンピックに反対している人が多いのではないかと。私もそのうちの一人なんですがね。

トップ層の人たちによって強行されたという印象が強い今回のオリンピックですが、閉会式で『開催してよかった!』と思えることを願うばかりです。まぁニートなんですけど。

 

ニートのくせに偉そうに講釈を垂れたわけですが、今回はなぜニートになってしまったかのお話をさせていただければと思います。今しばらくお付き合いいただけますと幸いです。

 

まだお読みでない方は、ぜひこちらもご覧ください。

 

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独立し、学習塾を開業することはや3年。

ありがたいことに人にも恵まれ、まさに順風満帆と呼ぶにふさわしく、何となく『このままうまくいくんだろうなぁ』と思っていました。

 

事の起こりは5年目の春のある日。

出勤前に『あ~、仕事行くのめんどくさいなぁ…』と思ったことがきっかけでした。

その日は何となく休ませてもらったのですが、次の日も、その次の日も働く気分になれませんでした。

こうなった時に経営者は大変です。

尻を叩いてくれる上司もいませんから、ずるずると休むようになってしまいました。

結局、私のモチベーションは戻らず、塾の経営は共同経営者の友人に任せ

もう1年以上、貯金を切り崩しながらニート生活を続けています。

 

ニートになって半年ぐらいはまさにテンプレのような生活でした。

昼過ぎに起きてカップ麺を食べ、ゲームしてネットして動画見て寝る。

たまに外出してスーパー銭湯やパチンコ、マンガ喫茶へ行く。

好きな時にやりたいことをやる。

自分が求めていた生活のはずでしたが、1年ほど経ったある日、ふとこう考えます。

『そういえば俺は、何で仕事しなくなったんだろう?』

ニートですので考える時間はたっぷりあります。

『なぜ働きたくなくなったのか?』を掘り下げてみると、いくつかの仮説にたどり着きました。

 

 

学習塾の仕事に飽きた説

個人的にはこれが一番しっくりきました。

私は元来、飽きやすい性格なのですがスクールマネージャーという仕事は足掛け10年ほどやっておりました。これまでそんなに長期間同じ仕事をしたことはなかったですし、日々の業務や一年を通しての流れが同じにことの繰り返しになってしまい、飽きてしまったのかと思います。

 

一回ニートやってみたかった説

私が起業した時に自分で定めた目標が2つありました。

1つ目は年収1000万円を超えること、2つ目は不労所得を得ることです。

1つ目の目標は先述の通り達成することができました。問題は2つ目です。学習塾の性質上、自分が働かずに収入を得るのは結構大変です。サービス業である以上、塾の評判や売上は室長のマンパワーによる部分が大きいからです。私の経営していた学習銃も指導内容やノウハウは前職のシステムをほぼパクってましたし、それ自体に価値はあまりないのです。そうなると陣頭指揮を一生取り続けなければなりません。

そもそも不労所得を得たいと思ったのは、ニートのような生活をしたかったから。そう考えると働きたくなくなっちゃったのもわかるような気がします

知らないうちにストレス溜まってパンクした説

仕事に行かなくなってから、周りの人に勧められてカウンセラーや精神科に行ったりもしました。その際に先生たちに言われたのがこの説です。

起業してからは相当好き勝手に働いてきたので『ストレスとか絶対無縁だ!』と思っていたのですが、実はそういう人ほど危ないらしいのです。

ストレスはコップに入った水みたいなもので、知らないうちに溜まっていき、コップから溢れた時に初めて症状としてでるとのこと。

確かにそう考えると今回の症状に似ていますね。個人的にはあんまり共感は出来ないのですが…汗

 

上見て絶望した説

起業して最初のころは自分に自信をもって仕事をすることができたのですが、同時期に起業した人なんか見てみると、当たり前ですけど自分よりもすごい人ってたくさんいるんですよね。

それって比べるものでもないとは思うんですけど、私の場合はそれを比べてしまったんですよね。『俺って全然ダメじゃん、自分より若くて優れた人がこんなにいるなんて…』てな感じで勝手に落ち込んで働きたくなくなってしまった感じです。

 

こんな感じの理由が出てきました。普通に生活していたらここまで考えることはなかったかもしれませんね。

ニートになって一番良かったことは、こうやってゆっくり考える機会が作れたことです。日常生活で他人のことを考えることって多いと思うんですよね。仕事しかり恋愛しかり。でも自分自身のことを掘り下げて考えるってあまりなくないですか?私が自分のことを考えたのは大学生の就職活動ぐらいだったと思います。

人生で一生絶対離れることがない人は、家族でも恋人でも上司でもなく自分自身です。

その自分自身を知ろうとする時間は、実は大切な時間なのかもしれません。

 

 

今回の教訓は

『自分自身をもっと大事にしよう』です。

 

私は自分自身を大事にした結果、経営者からニートになったわけですが、不思議と幸福度は今の方が高いような気がします。もちろん仕事を辞めてニートになることが正解だとは思いませんが、その時に自分がしたいことを許すというのは大切なことだと思います。

今日は少しだけ、自分のわがままを許してあげてみてはどうでしょうか?

いつもよりちょっぴり幸せになれると思います。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

自己紹介 ~起業編~

みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

元来、飽き性な私ですが、自分でもびっくりするぐらいのペースでブログを書くことができています。ここまでくると脱ニートしたと言ってもいいのでは…?なんてことを考えたりしてます。

やはり好きなことを好きなように書き綴れるのは楽しいですね。

それも読んでいただける読者様の存在があってこそ。感謝してもしきれません。

これがマネタイズ?とかアフィリエイト?とかしようとすると大変になってくるのでしょう。しばらくは気ままに書き綴らせていただきたいと思います。

 

今回も自己紹介のお話です。

手前勝手なお話になりますが、お付き合いいただけますと幸いです。

 

まだお読みでない方は、ぜひこちらからどうぞ。

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塾講師として学習塾の経営ノウハウを学んだ私は、自分が考える理想の塾をつくるため独立を決意します。

職場は12月いっぱいで退職することに。

開業時期は生徒の新規獲得を考え3月オープンに決定。

2ヶ月弱で開業準備を進めることになります。

決めるべきことは塾のコンセプト、指導形態、料金体系、HPデザイン、チラシ作成、物件の選定、融資のための事業計画書作成など…

今考えるととんでもなく行き当たりばったりでびっくりします笑

融資が通るかわからなくて、物件も決まってないのに会社辞めるとか正気の沙汰じゃないですね汗

 

この時期はとても楽しかったのを覚えています。毎日ワクワクしていましたね。

 

楽しんで仕事していたおかげか、良い物件が見つかり融資も無事決まり、3月の開業にこぎつけることができました。

生徒が一定数集まるまでは貯金を切り崩しながらの生活ですので、生活費は出来るだけ抑えたい。

削るべきは家賃だろうということで、共同経営者の友人と2人で6畳一間、トイレ風呂共同の賃貸に住むことになります。家賃は破格の2万円!笑

弱点は部屋の扉がふすまだから鍵がかけられないことでした笑

 

この話をすると『苦労してるねー!』と言われることが多いのですが、当人としては苦労した印象がほとんどないんですよね。それでいったら大阪社会人の方がどれだけ辛かったかと。

『起業してボロ賃貸に住むなんてヒロイックでいいやん!将来、情熱大陸に出ることがあったらこの物件の取材してもらおう!』ぐらいに思ってました笑

 

そんなこんなで貧乏生活をエンジョイしながら、塾の売上も順調に伸びていきました。

開業4ヶ月月後には単月収支での損益分岐点を突破。

その年の確定申告は開業費含め赤字だったものの、翌年には黒字転換。

開業3年目で年商3000万円、純利益1500万円まで伸ばすことができました。

 

今回の教訓は

『楽しめることを仕事にしよう』ということです。

 

楽しめるかどうかの基準は仕事内容によることが多いと思います。

ですが立場が変わることでモチベーションが変わったり、今までになかった楽しさを覚えることがあります。

 

私の場合、

仕事内容はサラリーマン時代とほとんどかわらなかったのに

個人事業主という立場に変わること仕事への熱意を燃やすことができました。

 

『好きこそものの上手なれ』と言いますがあれは真理です。

自分が気持ちよく働ける環境であれば、結果は自然とついてきます。

やりたくないことを嫌々することは精神衛生上よろしくないですしね。

今は職種も働き方も多種多様です。

ぜひ貴方が納得して気分よく楽しく働ける職業を探してみてください。

 

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

自己紹介 ~塾講師編~

みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

暑い日が続きますね。ここまで日の光が強いと恨めしく感じてしまいますが

日光を浴びるとセロトニンという幸福ホルモンが出るんだそうです。

 

『太陽の野郎!今日もあっちーな!』

ではなく

『あぁ、いま日光を浴びることによって幸福ホルモンが出ている。ありがとう太陽!』

と考えれば、この暑さも心地よく感じるかもしれません。

まぁニートの戯言なんですけどね笑

 

前回に引き続き、今日も自己紹介を書かせていただければと思います。

お付き合いいただけますと幸いです。

 

まだお読みでない方は、こちらもぜひどうぞ。

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教員採用試験に落ちた私は、自分のプライドと体面を保つために塾講師としての一歩を踏み出します。

人にものを教えることも好きだし、子どもとの接し方にも自信があったので

『まぁなんだかんだでうまくいくやろ』と楽観的に考えていたのですが、入社後に仕事内容を聞いて絶望します。

そもそも、塾講師としての採用というよりは営業としての採用だったんですね。

その内容はお客様の家に訪問して『塾の体験授業うけませんかー?』と営業をかけ、教室まで連れてくることでした。

いわゆる訪問販売というやつですね。

 

これがしんどい。

物を売るわけではなくて無料の体験授業でしたので、ほかの他の訪販の方からするとだいぶぬるい仕事だったのですが、個人的にはすごいしんどかったですね。

ここで何件か契約を取るまでは試用期間で、規定数を超えれば晴れて正社員という感じでした。

訪販のスキルなんかなかったですし、サボってばかりでしたが、運よく正社員として潜り込むことに成功します。

 

これで晴れて塾講師になったわけですが、仕事は講師というよりスクールマネージャーみたいな感じでした。

塾の形態が個別指導(1対1~1対3ぐらいで教えるスタイルです)でしたので、社員が授業をやっている余裕はなく、授業はアルバイトの講師にしてもらってる感じだったんですね。

授業のノウハウも良くわからないまま教室長になってしまったので、最初の1年は苦労しましたが

1年やればそれなりに要領も得るものです。

 

2年目ぐらいからは不思議と仕事が楽しくなってきたんですよね。

 

ある程度の数字を上げることもでき、3年目にはエリア長として複数教室を計7教室を管轄することになります(昇進が早いのはブラックの常ですね笑)

 

この頃になると、自分の信念というか仕事に対するポリシーみたいなものが生まれてきました。そして信念と会社からの指示の乖離に苦しむことになります。

 

というのも学習塾って結構えげつない商売方法なんですよね。

月謝を払うのは保護者ですが、実際にサービスを享受するのは生徒ですので、保護者からは価格に対して正当なサービスなのかを判断しづらいんです。

その弱みに付け込んで保護者の不安を煽り、追加で夏期講習会の料金をせびるような塾だったんですね。

夏期講習や冬期講習を勧める際に保護者と面談をするのですが、これが本当に嫌でした。自分の本心では必要ないと思っている追加授業を勧めなければいけないわけですからね。

 

ここらへんで独立して自分の塾をつくったほうがうまくいくんじゃないか?と思い始めます。

教室長、エリア長の仕事をする中で教室運営のノウハウは揃ってましたし、おおよその経費や損益分岐点、イニシャルコストなんかも把握できていましたので、『今やってることを起業してやったら、絶対今より稼げる!』みたいな無駄な自信を持っていました笑

 

勢いそのままに仲のいい講師を何人か引き抜き、30歳で起業することになります。

今思えば、これは本当に英断でした。

私はたまたま運よくそこそこの成功を手にしましたが、失敗しても起業していたほうがよかっただろうと思います。

 

塾講師をやってみて思ったことは

『仕事はいきなり好きにはなれないけど、時間がたてば好きになるかも』

ということです。

 

『好きなことを仕事にしよう』みたいなフレーズをよく聞く昨今ですが

自分が好きだと思い込んでいるだけで実際はそうでもなかったり、逆に苦手だと思い込んでいるだけで実は好きなこともあるのだと思います。

 

『私は〇〇するの苦手だから…』と思い込みで蓋をしているのなら、そんなにもったいないことはありません。

『〇〇は苦手だけど、ちょっとやってみようかな…』と考えることができれば、あなたの新しい才能に気づくことができるかもしれません。

 

もちろん『やっぱり苦手でした!』なんてこともあると思いますので、無理だけはしないようにしてくださいね!

 

お付き合い頂き、ありがとうございました。

自己紹介 ~教員免許取得編~

みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

年齢を重ねるにつれ、おっさんっぽいことが好きになりますよね。

最近はスーパー銭湯のサウナにハマってます。

あの脳が溶ける感覚はやばい。脳内麻薬ドバドバですわ。

 

 

今回は前回の続き、社会人地元編を書き綴らせていただければと思います。

お付き合いいただけますと幸いです。

 

まだお読みでない方は、こちらからお読みいただければと思います。

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会社をバックれ、住み込みバイトをしていた私は両親によって実家へ連れ戻されました。

心のどこかで『もう家族には会えないだろうな』と思っていたので、両親との再会は驚きよりも喜びが勝っていたように思います。

会社への退職手続きはすべて父がやってくれており、私は頭一つ下げることなく退職することができました。この時の事を考えると、今でも両親には頭が上がりません。

 

4か月ほど失踪していましたので警察に捜索願も出されており、戻ってきてからは友人たちからも詳細を聞かれることが多かったです。

 

ぶっちゃけ仕事がしんどくて逃げだしただけなんですけど、それを正直に言うのは恥ずかしかったんですよね。根性なしみたいな感じがしちゃいまして。よくわからないプライドみたいなものもあったと思います。

 

なので友人たちには

『仕事がしんどかったわけじゃない!

 俺は先生になりたかったんだ!』

と訳の分からんことを言い出すことになります。

 

こうして24歳から通信大学へ入学し、教員免許取得を目指します。

とはいえ働かないわけにもいかないので、大学時代にアパレルでバイトしてたこともあり、派遣として服屋で働きながら勉強をすることになります。

仕事と言ってもアルバイトの延長みたいなものですし、そこまで苦労もなく教育実習にこぎつけます。

 

それを期にアルバイトも辞め

教員採用試験を受けるを結果は不合格。

 

教員採用試験に落ちた人は非常勤講師として働きながら、翌年の採用試験を目指す人が大半です。人によっては3年ほど講師を続ける方もいらっしゃるとか。

 

私はこの時点で26歳。

3年後には30歳手前。

合格するかも定かではない。

 

こうなると教員を目指すことはリスクなのではないかと思い、諦めることにします。

そもそもこの時は教育に対する熱意なんかないですからね笑

 

そうなると困るのが先述の言い訳です。

 

『え?教員目指さないの?先生になりたいから仕事辞めたんじゃないの?』

 

当然のことながらこう言われるわけですね。

これって嘘つきあるあるだと思うんですけど、最初についた嘘の辻褄を合わせようとして、ぐっちゃぐちゃになっちゃうんですよね笑

私もこのサイクルにハマってしまいます。

 

教員を目指すのはリスクがある。なんならそんなになりたいわけでもない。

とはいえ辻褄を合わせるために先生になるしかない。

 

この二つの条件を満たすため、私は学習塾の先生となります。

これは我ながらナイスな選択肢でした。

 

正社員として就職できる上に、友人たちへのメンツも保てるのですから!

結果的にこの仕事がなかなかのブラックなのでしたが、それはまた次の機会に…

 

 

今回の教訓は

見栄を張るのもほどほどに』ですね笑

 

いい格好したくなる気持ちはわかりますが、過度な虚勢は己の身を滅ぼします。

プライドが原動力を支えることになったりもするので、一概に悪いものとは言えませんが、自分の身の丈にあった生活をすることは大切かもしれません。

 

他人の目を気にしたり、見栄を張ったりするのは自分に自信がない証拠なんですよね。

みなさんは主役です。あなたの人生の主人公なんです。

 

存在しているだけで価値のある存在ですので、ありのままの自分を誇りに思ってくださいね。

まぁそう考えるのって難しいんですけどね汗

 

まとめようとしてもどうしても長文になってしまいますね笑

ですがこれも100記事書くころには、松本人志のように短文で的確に相手の心をつくような文章を書いているはずです。

歴史の目撃者となりうる読者の皆様には、ぜひ気長にお待ちいただければと思います。

 

お付き合い頂き、ありがとうございました。

自己紹介 ~社会人大阪編~

みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

私、仕事をしておりませんので妻のお弁当を作るのが日課になっているのですが、おかずを何にするか考えるの大変ですよね。高校時代、私の母は毎日お弁当を作ってくれましたが、こんなに大変なことだとは思いませんでした。感謝しかないですね。

 

今は専業主夫みたいなことをしている私ですが、社会人として働いていたこともありました。そんな私がなぜ起業し、ニートになったのかをご説明させていただければと思います。

 

 

私立文系の大学を卒業後、私はとあるメーカーに勤めることになります。

東証一部上場、年間休日120日以上、平均年齢40歳以上などの条件を定め、かたっぱしから受けた結果、内定をいただいた企業でした。

当時の私はそれはもう保守的な性格をしておりまして『終身雇用は正義!成果主義なんかクソくらえ!』と本気で思っていました。

ある程度、安定した企業に入ることもでき、『これで俺の人生も安泰だなぁ』となんとなーく感じながら社会人生活がスタートします。

 

ところが…

 

古き良き日本企業と言えば聞こえはいいですが、パワハラは当たり前、仕事は見て盗めを地で行くような会社でしたので、私の精神は日に日にすり減っていきました。

当時付き合っていた彼女へのメールを勝手に送られたり、ハプニングバーに連れていかれて縄で縛られて吊るされた時は、何のために仕事をしているのか疑問に思ったりもしました笑

そんなこんなで会社に行くのが嫌になってしまった私は、バックレることを決意します。

今ならば『いや、普通に退職しろよ!』とツッコみますが、当時はそう考えられなかったんですよね。

『会社辞めます』って上司に伝えることよりも、バックレるほうがハードルが低かったんだと思います。

完全にぶっ壊れてますね笑

 

普段は気が重くなる月曜日の朝、多少の高揚感に包まれバックレを決行します。

新幹線で一路東へ向かうさなか、携帯電話には職場からの鬼電が(当時は折り畳みでした)

焦った私は携帯電話を真っ二つに折り、川に捨てることで事なきを得ます。

 

1か月ぐらいネカフェ難民として過ごした後、北関東で住み込みのアルバイトを見つけ3か月ほど生活しますが、給与明細が実家に届き、両親から実家へ連れ戻されることになりました。

 

今思うと、我ながらバカみたいなことしてるなと思いますが、当時の私としてはそれが最善の選択と信じて疑わなかったんですよね。

自ら命を絶つ選択肢も浮かびましたが、それを踏みとどまれたのは両親のおかげだったと思います。

 

何が言いたいかといいますと

『しんどいことがあったら逃げたほうがいいよ!』

ということです。

 

逃げることを悪とする風潮が強いですが、逃げることは悪いことではありません。

むしろ生物学的に見ると、危機に直面した際は逃げるのが普通なんですよね。

逃げても何とかなります。

事実、私が何とかなってますから笑

 

昔は『死ぬ気でやれよ。死なないから』なんて言葉が流行りました。

あれは嘘です。人間は追いつめられたら死を選びますから。

『死ぬ気でやるな。マジで死ぬから』に変えるべきですね。

 

ニートまでの軌跡を辿るつもりが、思いのほか長くなってしまいました。

次回は『社会人地元編』をお伝えできればと思います。

 

お付き合い頂き、ありがとうございました。

何故ブログを書くのか

みなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

今日は月曜日ですね。サラリーマン時代は月曜日の朝に絶望感を覚えましたが、ニートになってからは無縁のものになりました。同時に金曜日の高揚感や土曜日の無敵感も無くなってしまったため、生活への彩は薄くなったような気もします。ないものねだりだとは思いますが、少し寂しくもありますね。

 

さてブログを始めて間もない私ですが、一日一記事を目標にやっていこうと思っております。今日はもう一記事書きましたのでOKやろって思ってましたが、ブログ村を見てみたらですね…

 

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なんと8位にランクインしてるじゃないですか!

まぁINとかOUTとかよくわからないし、なぜランクインしたかもよくわからないんですけど、人目に触れる可能性がある以上は早く充実させたいと思いまして、二記事目を書こうと思った次第であります。

 

んでいろいろ考えてみたんですけど、多分今更ブログを始めるって相当後発だと思うんですよね。大して知識や経験があるわけでもないですし、特化ブログみたいなものを作っても淘汰されるどころか戦場に立つこともなく消えていくのではと思ってます。

 

同じ商品を売ろうとしたときに、差異が生じるのは『誰から買うか』の部分です。

商品ではなく、販売する人に魅力を感じてもらえれば購入していただけるだろうと。

 

なのでまずは私という人間を知っていただき、興味を持っていただけるような酔狂な人間を探していくところから進めていこうと思います。

 

しばらくは私の生い立ちを書かせていただき、ご興味を持っていただければ幸いです。

その中で私が人生に有益だったと思うことを皆様にお伝えできればと感じております。

 

とんでもなく上からの文章になってしまいましたが、そう思っているわけではございません。単純に文章を書くのが下手なのです。

 

『ブログを始めたら100記事は書いてみろ』みたいな文言をよく見かけます。

私も100記事頑張って書いてみようと思っておりますが、そのころにはこのクソみたいな文章力も大きく成長していることでしょう。ある意味、それを目撃できる皆様はラッキーなのかもしれません。お付き合いいただけましたら幸いです。