自己紹介 ~社会人大阪編~
みなさんこんにちは。
ニートの二宮です。
私、仕事をしておりませんので妻のお弁当を作るのが日課になっているのですが、おかずを何にするか考えるの大変ですよね。高校時代、私の母は毎日お弁当を作ってくれましたが、こんなに大変なことだとは思いませんでした。感謝しかないですね。
今は専業主夫みたいなことをしている私ですが、社会人として働いていたこともありました。そんな私がなぜ起業し、ニートになったのかをご説明させていただければと思います。
私立文系の大学を卒業後、私はとあるメーカーに勤めることになります。
東証一部上場、年間休日120日以上、平均年齢40歳以上などの条件を定め、かたっぱしから受けた結果、内定をいただいた企業でした。
当時の私はそれはもう保守的な性格をしておりまして『終身雇用は正義!成果主義なんかクソくらえ!』と本気で思っていました。
ある程度、安定した企業に入ることもでき、『これで俺の人生も安泰だなぁ』となんとなーく感じながら社会人生活がスタートします。
ところが…
古き良き日本企業と言えば聞こえはいいですが、パワハラは当たり前、仕事は見て盗めを地で行くような会社でしたので、私の精神は日に日にすり減っていきました。
当時付き合っていた彼女へのメールを勝手に送られたり、ハプニングバーに連れていかれて縄で縛られて吊るされた時は、何のために仕事をしているのか疑問に思ったりもしました笑
そんなこんなで会社に行くのが嫌になってしまった私は、バックレることを決意します。
今ならば『いや、普通に退職しろよ!』とツッコみますが、当時はそう考えられなかったんですよね。
『会社辞めます』って上司に伝えることよりも、バックレるほうがハードルが低かったんだと思います。
完全にぶっ壊れてますね笑
普段は気が重くなる月曜日の朝、多少の高揚感に包まれバックレを決行します。
新幹線で一路東へ向かうさなか、携帯電話には職場からの鬼電が(当時は折り畳みでした)
焦った私は携帯電話を真っ二つに折り、川に捨てることで事なきを得ます。
1か月ぐらいネカフェ難民として過ごした後、北関東で住み込みのアルバイトを見つけ3か月ほど生活しますが、給与明細が実家に届き、両親から実家へ連れ戻されることになりました。
今思うと、我ながらバカみたいなことしてるなと思いますが、当時の私としてはそれが最善の選択と信じて疑わなかったんですよね。
自ら命を絶つ選択肢も浮かびましたが、それを踏みとどまれたのは両親のおかげだったと思います。
何が言いたいかといいますと
『しんどいことがあったら逃げたほうがいいよ!』
ということです。
逃げることを悪とする風潮が強いですが、逃げることは悪いことではありません。
むしろ生物学的に見ると、危機に直面した際は逃げるのが普通なんですよね。
逃げても何とかなります。
事実、私が何とかなってますから笑
昔は『死ぬ気でやれよ。死なないから』なんて言葉が流行りました。
あれは嘘です。人間は追いつめられたら死を選びますから。
『死ぬ気でやるな。マジで死ぬから』に変えるべきですね。
ニートまでの軌跡を辿るつもりが、思いのほか長くなってしまいました。
次回は『社会人地元編』をお伝えできればと思います。
お付き合い頂き、ありがとうございました。