おっさんニートの幸福論

30歳で起業したものの、働くことに飽きてしまったおっさんのブログです。ニートですが幸せに生きてます。

韮山反射炉

f:id:ossan-neet:20210729172135j:plainみなさんこんにちは。

ニートの二宮です。

 

昨日が嫁の誕生日でしたので、一泊二日で温泉旅行に行ってまいりました。

若いころは、とにかくいろんな観光地に行きたい!海外とか遠出したい!という気持ちが強かったのですが、最近は外に出るのが面倒くさくなってしまい、近場の温泉に行っておいしいもの食べてのんびりするのが一番の幸せでは?と思うようになってしまいました。これが老いというやつか…

 

というわけで伊豆に行ってきたのですが、どこも行かないでずっとホテルにいるのも味気ないので、韮山反射炉に行ってきました。

名前は聞いたことあったのですが何をしている場所かは全く知らず、製鉄所だということを行ってみて初めて知りました。

残念なことに30年に1回の改修工事中ということで反射炉の全貌は見られず…

写真も撮れなかったのですが、実は韮山反射炉の建造にあたりとても有能な人物がいたとのことを知ることができました。

 

その名も江川英竜。

 

初めて聞く人も多いと思います。何を隠そう私もそうでした。

実は私、中高社会の教員免許をもってるんですよ。

だから史跡とか行ったときに知らない名前ってまず見ないんですけど、英竜には理由がありました。教科書に載ってないんです。なぜかは後述します。

どんなお方かといいますと幕末時代、韮山を治めていた代官なのですが調べてみるとまぁすごいお方で。

 

伊豆方面の役人のトップである父親のもとに生まれ、幼少期のころから多くの学者の下で勉強に励んでいたとのことです。

その甲斐あってか、15歳になることには測量、地理学、化学、薬学、天文学本草などを身につけ、外国の学問である蘭学や算術、砲術、兵術、銃術などにも正通していたとのことです。

とんでもない天才ですね。

しかも自ら師のもとに赴き、教えを乞うていたというのですから頭が下がります。

大学時代の私に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいレベルです。

 

そんな感じでエリートでありながら努力家であった英竜は、35歳の時に亡くなった父親の後を継ぎ、代官として韮山の治世を始めます。

みなさんご存じの二宮金次郎に農地の改良をお願いしたり、天保の飢饉の際にはいち早く倹約令を発し、自分自身も農民以上に質素倹約に励んだとのことです。貧しい村には私財を投げうってでも救おうとしたり、悪化した治安を改善するために自らで見回りを行うなどしたそうです。

すいですね。政治家の鑑です。

オリンピックの利権を貪る現代の政治家に英竜の自伝を渡して感想文を書かせたいぐらい立派です。

 

一役人としても十分すごいのですが、彼が注目を集めるのはむしろこれから。

当時の日本は鎖国中で限られた国としか貿易ができなかったのですが、開国をもとめてアメリカのモリソン号が日本へとやってきます。

ですが、当時の日本には異国船打ち払い令というなかなかにファンキーな法律がありました。読んで字のごとく、近くに来た外国船は問答無用で打ち払えというものです。ロックですね。

そんなわけでモリソン号に大砲の玉を打ち込もうとするのですが、日本の大砲の精度が低すぎてぜんっぜん届いてなかったんですね。

それを見た英竜はこう思います。

 

『島国である日本を守るには海の防衛が要になる。』

『その防衛力を高めるには外国の技術が必須だ。』

 

玉が届かないってことは、戦争をしても遠距離から一方的にボコられて終戦ですもんね。

というわけで英竜は解剖について徹底的に取り組むことになります。

 

まずは敵を知るために海外の軍事書を読み漁ると、それをまとめて幕府への国防論を進言します。

自分は最新兵器の建造や近代兵士育成のために近代軍事学校、江川塾を設立。世界の技術や情勢を教えることはもちろん、実践を想定しての実弾射撃や、山にこもってのサバイバルも行いました。

英竜は江川塾でいまなお残るものを多く作っており

 

・戦闘食を日持ちがいいパンにした

・命令をスムーズに伝えるため、号令を発案した(前ならえとか右向け右とかですね)

・工兵や衛生兵などの兵科をつくった

 

パンに至っては英竜が広めたとも言われており、『パンの祖』とも言われているようです。アイデアマンでもあったんですね。もうすごいとしか言えん。

 

その後、国産の大砲を作るために韮山反射炉の製造に取り掛かりますが、志半ばで病に倒れこの世を後にします。反射炉は後を継いだ江川英敏によって完成されているようですね。

 

他にも農兵隊の設立、日本で初めての蒸気軍艦の開発に着手、仮想敵国迎撃のために人口砲台場(今のお台場ですね)を作るなど、挙げればきりがありません。

英竜は手柄を独り占めしようとはせず、全国の藩にすべての情報を共有し、日本全体の防衛力を底上げすることに尽力しました。

 

なぜここまで日本のために尽くした人を学校でならわないのか?

 

それはアメリカが英竜の防衛構想を危険視していたからです。

戦前は教科書に必ず載っていたらしいのですが、戦後、GHQによる教科書の修正により抹消されてしまったそうです。

ある意味、GHQにも恐れられた男だったわけですね。

 

まさに日本を救った男。こんな人が同じ県内にいたなんて思いもよりませんでした。

英竜が今の日本を見たら、どう感じるんでしょうかね?

国防は他国に任せ、領海を侵されても知らんぷり、国民に防衛意識はない。

政治的な話はあまりしたくありませんが、国を守るために憲法を変えるべき時にきてるのではないかなと思わないでもないですね。

 

旅行記にするつもりが、江川英竜の紹介になってしまいました。

もし読んでいただけましたみなさまは、ぜひ心のすみに英竜のような国人がいたことをとどめておいていただければ幸いです。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。